CREATOR'S VOICE 特別編 VOICE Selection

関西東通の《働くひと》と《技術力の高さ》。
その評価を支える当社自慢の
精鋭クリエイター3名にお話を伺いました。

現業本部 制作技術部映像グループKIDO 木戸 秀樹 26年目
現業本部 制作技術部音声グループKUNO 久野 純 26年目
現業本部 放送メディア部VE・VTRグループMATSUMOTO 松本 惇 19年目

取材日:2022年1月 本社1階にて

この道を極めんとす匠の3名も、
きっかけは意外なところだった!?

キャリアが長くエキスパートな皆さんに集まっていただきました。まずはテレビ業界に入るきっかけをお聞かせください。

久野: 親の知人から仕事を紹介されたのがきっかけです。関西東通の前身となるティ・ディー・シー時代に甲子園でのテープ運びのアルバイトをしたのが最初です。それから「女子ゴルフ中継で音声スタッフがいないから手伝って」と声がかかって。その後もアルバイトをすることになって「映像と音声があるけど、どっちがいい?」と聞かれて、音声を選びました。

職種で音声を選んだのは何か理由があるのですか?

久野:実は元々、声楽家を目指していまして。(笑) それで音のことに興味があったのかな。

一同:声楽家!?全然、知らんかった!

写真左から、木戸氏、久野氏、松本氏。
写真左から、木戸氏、久野氏、松本氏。

木戸:僕のきっかけもアルバイトからですね。大学2年の時に「バイトが足りないから」と知り合いの方から声をかけられてゴルフ中継に行ったのが最初です。学校もまったくこの業界とは関係ない学部でしたし、その時の他のバイトも八百屋でしたし。ゴルフ中継の後、そのまま学生アルバイトとしてCAをさせてもらっていました。その頃から単純に「カメラマンってカッコええなぁ」って思っていて。お天気カメラもさせていただいたりして、映像にも興味を持ちだしました。

NOTE

CA……カメラアシスタント。カメラやケーブルのセッティング、機材運搬、カメラ調整の補助を行う。本番ではカメラのケーブルを捌いたり、カメラマンの傍で補助作業を行う。

松本:僕は学生時代に役者というか、エキストラ役のアルバイトをしていて……。

一同:へー!!

松本:その頃、エキストラのバイトはギャラもよかったんですよね。当時のことはあまり覚えていないのですが、たしかその時に東通企画の方と知り合って、色々話を聞いて「カメラやりたいなぁ」と興味を持ちだして。就職活動ではテレビ局の制作職として採用試験を受けたのですが、見事に全部落ちてしまって……。その時に「あ、そういえばカメラマンも面白そうやったなぁ」と思って当社を受験しました。

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今の仕事について伺います。今のメインのお仕事は何をされていますか?

木戸:今はカメラマンと中継車に乗ってスイッチャーをしたり、あとは技術の段取り全てを行うTDをやったりしています。

NOTE

スイッチャー……画面を効果的に切替える担当。
TD……テクニカルディレクター。技術スタッフの責任者。技術の窓口として制作と打合せや下見などを行い、映像・音声・照明など番組の制作における技術的な面を全て管理する。当社の場合は宿泊ホテルや現場への移動手段についても営業と共に仕切ったり、下見報告書の作成や勤務時間をチェックするなどマネージャー的な業務を兼ねる場合がある。

久野さん、松本さんもTDをされていますよね。

久野:ええ、普段は音声でミキサーをしていますが、全国ネットのトーク番組のTDもさせていただいています。

松本:僕も普段はVTRですが、今年になってTDもするようになりました。

テレビ業界の今と昔。
当時の下積み時代を振り返る。

今までのキャリアについて伺いましょうか。木戸さん、最初は東京勤務でしたよね。

木戸:大阪でCAのバイトをしていて、当時入社してからも最初はやはりCAからスタートでした。東京でスイッチャーまでステップアップしたのですが、僕はカメラマンになるまでが実は遅かったんですよ。

カメラマンというと1年ぐらいCAをしながら現場のことを勉強して、それから次第にカメラに就きだして、CAとカメラの比率が徐々にカメラにシフトしてカメラマンになっていく━━という感じと思うのですが。

木戸:それがね、配属の時に一緒の部署に同期の女性が2名いて。その時代はまだ女性のカメラマンが珍しかったこともあり、女性カメラマンを使ってみたいという傾向があったようです。そんなこんなで、最初の4年ぐらいはほとんどカメラを触らせてもらえなかったんですよ。

一同:4年も!?

木戸:当時中継部署だったんでゴルフトーナメントの時は、ワイヤレスカメラの送信機を担いでカメラマンについて一日中ゴルフコース内を歩き回ったりして。体力のいる仕事は「僕でないとダメ」と言われていました。あと、その頃はライブ全盛期で、コンサートの仕事が多かったんですよ。20数台のカメラを使用してライブ収録をするのですが、そのカメラマンは音楽専門のフリーランスの方が担当されるので、中継車周りとかカメラ機材の準備などをするCAのチーフをすることが多かったですね。唯一、競艇中継だけは月に1本、カメラをさせてもらっていました。あとはCAの仕事ばかりだったんですよね。

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何年もCAの仕事ばかりで、よく心が折れませんでしたね……。

木戸: そうですね。現場では空き時間を利用してめちゃくちゃカメラの練習をしましたね!
「この少ないチャンスを絶対ものにしてやる」って。すごく練習したのを今でも思い出します。
機材についても勉強していました。「どういう仕組みでこのレンズはできているのか」とカメラレンズを自分なりに研究して「こう触った方がフォーカスが合いやすいな」とか。全部自分の感覚で掴みましたね。当時研究し尽くしたことを、今でも若手に教えています。

人より長いCA時代を「勉強の期間」と割り切ったんですね、すごい。音声の久野さんは、どのような下積み時代でしたか?

久野:僕もミキサーになるまでは長かったですね。ゴルフ場でマイクを持って音を拾う集音を多くやっていました。アルバイトの期間が長かったので、フロアの仕事ばかりでしたね。それでミキサーになるまで結構時間がかかりました。
社員として入社してからも、現場の第一線で活躍されている先輩方は、すでに専門学校などで音声の勉強をされていたり、大学の理系だったりした方が多かったんです。だから僕は現場でたくさん勉強して。
音声って結構、タレントさんと近いんですよね。それが結構うれしくて。ピンマイク付けに行ったりとか。あはは。(笑)

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VTRの松本さんはどうでした?

松本:入社当時の職種はカメラを希望していたのですが、配属されたのが技術部というところでVTRのセクションでした。配属が決まった時は「えっ?ここでなにやるの?」って感じでした。(笑)
入社してから半年ほどは中継倉庫で教えてもらったり、自分で機材を出していじって勉強したり。当時、自分はサッカーをしていたんですけど、野球にはまったく興味がなくて……。元々、サッカー以外の他のスポーツを知らなかったので、ルールを覚えたり、機材を覚えたりするのが大変でした。

どのくらい大変でした?

松本:3年ぐらい、しんどい時期がありましたね。とはいえ、同年齢の先輩や後輩が入ってきて、徐々に同世代の人たちが増えてきて、仲良くなったりしてしんどさはなくなりました。
スポーツイベントが少ない冬の時期は、当時現場が少なかったので、倉庫のVTR車の中に同世代の人たちで集まって勉強会をしたり、練習したりして春先からの野球に備えたりしていましたね。

現在は冬でもプロ野球のキャンプ中継がありますが、昔は冬季の中継はほとんどなかったですもんね。みんながっつり「勉強の期間」でしたよね。

松本:特にVEやVTRは、ある程度一人前にならないと現場に出してもらえなかったですから。経費の事もあるから、プラス一名出張に就けてもらうこともないし。CAのようにアシスタント扱いだと、そこそこできれば現場に出してもらえる。それで同期の間でも残業代や手当の違いから賃金格差がありましたね。

NOTE

VE……ビデオエンジニア。数台のカメラを切り替えても視聴者に色や明るさで違和感が無いように各カメラを調整します。
中継車運用では信号監視、システム構築を行うので、映像、音声信号など各種の知識が必要となる。

そういう辛い時期をどうやって克服したのですか?気持ち的には。

松本:ずばり同世代の人たちがいたからですね。同じ部署に。それが大きかったです。

なるほど、気の合う同期達が支えになったのですね。

キャリアの分だけ失敗も。
つらい時・落ち込んだ時の対処法について。

仕事で辛い時の対処法ってありますか?

久野:飲みに行くことですね。(笑)

飲みに行くことで「今日の事は、今日の事」として区切るんですね。この業界の良いところは、番組が終われば「お疲れ様でした」と一区切りをつけられるところでしょうか。特に生放送は時間が来れば番組終了となってしまうし。仕事がうまくいっても、失敗があっても仕事は終わってしまう。上手くいっても失敗しても「明日はがんばろう」と気持ちの切り替えが大事ですよね。

木戸:僕はなかなかそれが出来ないんです。「ああ、このズームイン失敗した……。」とか2、3日沈んだ気持ちを引きずってしまう。お風呂入っていても思い出してしまったり。気をつけているのは、せめて周りの人には落ち込んだ姿を見せないよう笑顔で冗談も言うようにして。そして失敗を忘れるぐらい一生懸命仕事をします。辛い気持ちや沈んだ気持ちは一生懸命仕事をする事で前向きになれますし、良い結果が得られた時には喜びや達成感で満たされます。落ち込んだり、喜んだりして少しずつ人間的にも成長できているなと感じています。

生放送でなくとも、後日に放送される番組でも気になるときがありますよね。あの時こうしておけばよかったとか。

木戸:それはありますよね。編集さんに手直ししてもらったとか、監督の思っている感じにできなかった時とか。でも、「できていない」ことに気が付かないほうが問題で「できた」と思ってしまえば、そこまでなんですよね。良かった時よりも悪かった時の方を思い出す方がよいと思っています。

引きずる、引きずらないは別として。まぁ「100%完璧できた」なんて、ないと思いますよね。

木戸:完璧になった時点で終わりですからね。

一同:かっこいい。(笑)

木戸:……と、よく先輩に言われていました、「完璧はない」と。今も、昔の先輩の教えに従っています。

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松本:僕の場合は、入社時に父親が闘病中だったので、正直、仕事で辛いなんて考えたことが無かったです。「3年は我慢」と父親と約束していたので、父親が亡くなってからもそれを遂行しただけです。
3年目以降は同年齢の先輩と1年後輩の3人で楽しく過ごしていたので、辛いとは感じなかったですね。なので、辛い時の対処法は、強いて言えば3人で飲みに行く事になるのかなと思います。

皆さん、いろいろな経緯を踏んでこられたわけですね……。久野さんは語学が堪能ですが、元々英語が喋れたんですか?

久野:実は高校がインターナショナルハイスクールでして。アメリカの大学に1年だけ行ってました。途中で挫折しましたけどね。夏休みに帰国していた時に先ほどの甲子園のアルバイトを紹介されました。

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久野: ある外国の方から直接オーダーされた仕事の経験がものすごく勉強になりました。その方から「外国人スタッフへはどう接すればよいのか」を具体的にたくさん教えていただいたんです。外国の方はYES、NOをはっきりするイメージですが、あまりこちらから馴れ馴れしくすると嫌がられるとか、接し方についても色々と教えていただきました。
それからさらに、木戸さんはじめ関西東通のTD達が終始僕のやり方に任せてくれたんです。だから現場がスムーズにかなりうまくいきました。
海外現場でよくあるのが「こうしてほしいから早く先方に伝えろ」とか「これはどうなっているのか聞いてこい」とか、やいのやいのと外国人スタッフ側に迫るようなことを要求されるのですが、それだと外国人スタッフから嫌がられるし、その間に入る僕もしんどかったと思います。

この道を選び、のめり込んだ強者達。
その「楽しさ」を語る。

松本さんはスローVTRの仕事もされていますよね。カメラマン、音声、照明あたりは、一般の方でもある程度イメージが掴める一方で、スローVTRは職種としてのイメージがわかないと思うんですよね。その仕事の面白さって何ですか?

松本:そうですねぇ。たしかにイメージしにくいとは思いますが、最近では、中継には必ずと言っていいほどスロー映像が出てくるので、番組になくてはならないものになりかけているなと思います。
頼られることもあるし、まずは人と出会えるのが楽しいし、おもしろい。現場で技術や制作の方と仕事の事を話せるのが楽しい。あとは、番組のエンドスローとかハイライトシーンとか編集作業が好きなら、スローVTRは楽しい仕事だと思います。

木戸:番組の最後に流れるエンドスローなんか見ていて涙出てくるときもあるもんね。いいのを見たときはねぇ。(しみじみ)

松本:センスによりますけどね。(バッサリ)

一同:あははは!(笑)

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木戸:スローVTRは人を泣かせられる職業ですよね。

それは、その映像を撮ったカメラマンからしても嬉しいものですか?

木戸:そうですね。いい映像を重ねられると、より素晴らしいものになりますよね。自分の画を使ってくれた、ということも素直に嬉しいです。

音声さんは?スローVTRではあまり音は使わないんでしたっけ?

久野:いえ、松ちゃんのやつにはだいぶ泣かされてますよ。特にプロ野球キャンプ中継の時ね。1ヶ月にわたる長期の仕事に観る最後の放送の大エンドロールとか。キャンプ期間中の集大成スローVTRが音楽に合わせて流れるわけですよ。ウルっときます。

木戸:期間中の出来事が走馬灯のように思い出されてねぇ。

久野:高校野球の時なんかも、いいシーンを無音の感じで松ちゃんは繋いでくれるんですよ。くぅ~!

身内を泣かせてるんですね。(笑)

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「完璧は、ない。」この道を進めば進むほど、
その言葉の重みが増す。

皆さん、次に目指すものはありますか?

松本:次に目指すところというか、若い子たちには負けないってことですかね。自分で区切りを付けたら終わりなんで。

それは木戸さんが仰っていた「完璧はない」に相通ずるところがありますね。

松本:若い子には「負けたくない」という気持ちは持ちながら仕事はしていますね。まぁ「負けてもいない」と思っているんで。

かかってこんかいと。(笑) では木戸さんは?

木戸:この仕事のいいところは、いくつになってもドキドキできる事だと思うんです。緊張して手が震えながらズームインするとか。一昨日も音楽番組の生中継があったんですが、自分のカットの番がくると手が震えたり。
後輩もできて、そこそこのいい年齢になってもドキドキしながら仕事をしている──、そんな風に緊張感を感じられるのはいいなぁと思います。他の業種ではなかなかないと思うんですよ。

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番組作りの緊張感っていいですよね。報道現場に向かう途中の緊張感はアドレナリンが出て、口の中が苦くなって、あまりよい緊張感とは言えませんが。木戸さん、次の目標ってあります?

木戸:僕はちょっと老眼が入ってきているんですけれど、後輩がスイッチャーをやる時に「なるべく役に立つように」と意識しています。自分の実力を維持しつつ、後輩に知っていることを教えていく。仕事レベルの底上げですよね。

今も社内勉強会とかやっていますもんね。すごくいいことだと思います。

木戸:僕の若いころは、あんまり教えてくれなかったんですよ。はっきり言って「仕事は自分で盗め」みたいな世界だったんで。自分で研究したりしたんですが、やっぱり、ちょっと教えてもらえれば、すぐにできるようなことがたくさんあるので、なるべく教えていきたい。「こういう理由だから、こうした方がいい」とかわかりやすく説明して、その人が上手くなってくれれば。

なるほど、久野さんは?

久野:僕は、緊張は後輩の前では見せたくないのでフェーダーをがっちり押さえて手が震えないようにしてます。(笑)

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フェーダー……ミキサー卓の出力を調整するスライドボリューム

久野:映像系に比べて、音声はまず褒められることがないんですよね。そんな中、放送局の音声さんから褒められるのがめちゃくちゃ嬉しいですね。同業者から褒めてもらえるっていうのはやっぱり嬉しいです。
あるゴルフトーナメント中継を5年間やっていたのですが、その時に局の音声の方から「久野さんは毎年、同じ音声レベル、音質ですね。これって凄いですね」って言われた時は嬉しかったですね。

その音声の面白いところとは何ですか?

久野:うーん、ミキサーは自分の思い通りのことができる事ですかね。どういう音質にしようとか、自分の音を作ることができる。一つの番組を自分の音で作れるということですかね。まぁ局のスタジオとか、人が入れ替わるレギュラー番組的なものでは無理ですが、当社が一括で受注しているスポーツ中継番組だと自分の思い通りの音質を作れるのがいいですね。

なるほど、それぞれおもしろさがあるのですね。次の目標についてはどのように?

久野: 次に目指すことは、国際的な仕事に参加できると嬉しいです。日本のやり方とは違う事がたくさんあって勉強になるし、刺激を受けられるんですよね。そんな時の為に、社内で「技術に特化した英会話教室」があっても楽しいかも。
その他は、後輩の育成ですかね。新人や若手に関しては年齢的に離れすぎてしまって、たとえ僕が間違ったことを言ってても言い返すことができない、簡単に聞き返せない事もあったりするんじゃないかなと。なので最近は「後輩の育成をする『後輩』」を育てています。

皆さんはこれまで一つの部署や職種でやってこられたのですよね。やっぱりこの仕事が楽しいですか?

一同:楽しいですねぇ。(笑)

木戸:僕はこの部署しか考えられないというか。

なるほど、この仕事しかないと。その道をやり続けてきた木戸さんでさえ「完璧はない」と思っておられるのは凄いことですね。では最後に、この業界を目指す方々になにかアドバイスを。

久野:うーん、怖がらずに飛び込んでもらえればいいかなと思います。僕もど素人からのスタートだったんで大丈夫です。イチからでも何とかなると思います。

木戸:僕も放送業界とは全く関係のない勉強をしていました。応用化学科だったので業界を全く知らない状態からアルバイトで入って、この世界を知ったんです。ただ単に「カメラマンかっこええなぁ」だけでこの業界に入ったので、映像が好きな人はぜひ、やってほしいなぁと思いますね。

松本:僕も経済学部でした。全く関係ないとこから入ってもここまでやれるので、興味があればやってほしいと思います。

ありがとうございました。では、これを見て「やってみようかな」と門を叩いてくれる方が来られることを期待して終わりたいと思います。入社された際には、皆さん、丁寧な指導をよろしくお願いしますよ。

一同:任せてください。

CREATOR'S VOICE
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